合理的に考えるということ

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みなさんは,判断するとき必ず直感を働かせています.

判断はもっともな理由に基づいている必要がある

1判断における直観の役割と限界

良い判断というのは,もっともな理由に基づいている必要がありますよね?

直観とは,行為や制度について評価を行う際に,推論(論理的思考)という過程を経ることなくただちに判断が生じること,またはそのようにして生じた判断をいいます.

こうして言葉にすると難しいのですが,日常的には,良心・胸騒ぎ・違和感などの言葉が用いられると言ったらわかりやすくなりますか?

このような直観に基づく判断はしばしば強い確信を伴うため,直観に反した行為を見聞した場合や自分が行わなければならない場合などには,反感や嫌悪感といった形の強い感情が引き起こされることが多くなります.

例;人を殺してはいけない,嘘をついてはいけない

これらは自明(それ以上の説明を要さないほどあきらか)なものであり,理論的基礎付けが必要ないばかりか,なぜ人を殺してはいけないかとか,どのような場面でなら嘘をつくことが許容されるかといった問いかけをすること自体が倫理に反していて,人々の健全な直観を腐敗させかねない危険なものだとさえ考えられてしまうものです..

それでは,直観の果たす役割とは何でしょうか?

例えばただちに意思決定を行う場合を考えてみましょう.

医療現場では悠長に考えていると手遅れになりかねない場面があり,抗いう場面では日ごろの経験により培われた直観を用いることが望ましくなりますよね?
限られた短い時間で筋道立てて考えようとすると,かえって間違った結果をもたらす可能性も高いかもしれません.

次に,直観に反するということ自体が理論に対する一定の力をもった批判になる場合もあります.
経験を積んだ人の直観は一般に正しいことが多いため,抽象的理論から導き出した結論が直観と一致しない場合には,直観でなく理論のほうに問題があると考えるべき場合もあるのではないでしょうか?

しかし問題を適切な方法で解決するには,直観に頼るだけでは不十分となります.

たとえば,異なる直観同士が衝突する場合=倫理的ジレンマ状況

苦しんでいる人を助けなければならない

本人の意思を尊重しなければならない

が対立することがあります.

良くあげられる例としては,

輸血しなければ死ぬ

信仰上の理由から輸血を拒否する

という患者の例.

どちらが正しいでしょうか?

直観についての直観はメタレベルの直観と呼ばれますが
対立するいずれの直観に従うべきかを,さらに直感に訴えることによって解決することを言います.

この問題点としては.
1.メタレベルの直観は最初の二つの直観と比べて必ずしも自明なものではなく,最初の二つの直観に対するのと同じくらい強い確信を持つことはできない場合が多い.
2.たとえそのメタレベルの直観に対して強い確信を抱いているとしても,他人が異なるメタレベルの直観を持つ場合には意見の対立を解決できない.直観同士の衝突を,経験あるいは常識により解決しようとしても同じ
3.理論を用いず解決すると,場当たり的になり,判断の一貫性を保つことが難しくなる

さらに,直観のもつ保守的傾向もしばしば問題になります.
保守的だということは必ずしも悪いことではないのですが.

アリストテレスが生きていた古代ギリシャ時代,アリストテレスのような優れた哲学者であっても,奴隷制度は自然の摂理であり,その正しさを証明する必要はないと考えていました.

このように直観をはぐくんでいる文化や伝統の中には偏見が潜んでいる可能性があるため個人の直観を全面的に信頼することは危険となります.

特に新しい医療技術が次々生み出す倫理的問題に対しては,従来の直観に基づく判断は対立しがちとなります.

ゆえに,我々は自分たちが持つ様々な直観を一定の基準(理論)を用いて体系化し,必要に応じて訂正し改革しなければならないのです.
直感に頼るだけでは自分が属する社会の倫理感が持つ誤りを指摘したり改革したりすることは困難となります.

プロフィール

この記事の筆者:仲田洋美(医師)

ミネルバクリニック院長・仲田洋美は、日本内科学会内科専門医、日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医 (がん薬物療法専門医認定者名簿)、日本人類遺伝学会臨床遺伝専門医(臨床遺伝専門医名簿:東京都)として従事し、患者様の心に寄り添った診療を心がけています。

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