ふーちゃん

ふーちゃんとは,再発で出会いました.わたしと同年代でした.

肺の周りにみず(胸水といいます)がたまって,呼吸が苦しくなっていました.

なので,トロッカーカテーテルといって,水を抜く管が入っていました.

ふーちゃんは,とても怖がりな女子でした.

初めて会ったとき,今後の治療について説明しましたが.まったく何も覚えていなかったことが

あとになって判りました.

ふーちゃんは,不安が強かったので,精神科でたくさん薬を処方されていて,ふらふらして

わたしとあった日の午前中に,自動販売機の前で倒れて顔にけがをしていたくらいです.

でも.受け答えははいはい,としていたので,少しは理解しているのかと思っていましたが

あとになって,この日のことを全く覚えていなかったことが判り,びっくりしました!

ふーちゃんには,まず,このことをお伝えしました.

①がんの再発なので,余命が限られた状況になる.

②積極的治療方法としては,抗癌剤になるが,抗癌剤の役割は,この場合,「治癒」を目指したものではなく,「生存期間の延長」を期待するという位置づけになる.

③抗癌剤は投与したら必ずきくというものではなく,臨床試験の結果,効く確率がこれくらいある,とされているだけで,投与してみないと効くかどうかわからないし,目的が生存期間の延長や症状の緩和にある以上,効果と抗癌剤の有害事象とのバランスをみながら,投与すべきかどうかを決定していく必要がある.

④そんなに精神科の薬をたくさん飲んで,ふらふらしていては危ないので,せめてふらふらしない程度に薬を減らしましょう.不安な気持ちは全部私にぶつけていいです.わたしに体当たりして結構です.受け止めるために私がいます.あなたに最適な抗癌剤を選ぶことだけが,がん薬物療法専門医の私の仕事ではありません.あなたの希望が,がんをなくしてもらいたい,ということなら,残念ながらかなえてあげることは出来ない.だけど,現実とかけ離れた治療目標を設定することは,実現しないことに向かって全力で立ち向かうこととなり,あなたの精神状態を悪化させるので,わたしとしては容認しがたい.

だれもが生まれてきた以上,等しく迎えるのが終末です.ですが,死ぬということはそれまでの間を生きると言うことなのです.

どのようにそれまでの間を生きていくか.あなたが望むことをわたしはお手伝いします.わたしはそのための専門医なのです.

今日こうして生きていることをあなたが幸せだと思えるように,わたしはサポートしていきたいと思います.

⑤抗癌剤を受けたいということならば,今,あなたには,血管の新生を阻害するタイプの分子標的治療薬と,抗癌剤を1種類組み合わせたものをわたしは考えています.する,ということを今日決めなくていいです.ゆっくり決めましょう.

 

 

そしてふーちゃんは,「わかりました.でも,抗癌剤は,やりたいんです.」と言った.

ふーちゃんは,その日から,順番に中枢神経に作用する薬をわたしと一緒に減らしていき,最終的には,睡眠薬だけになりました.

分子標的治療薬と抗癌剤が効いて,胸水もたまらなくなりました.

それでも,不安でたまらないふーちゃんは,わたしをとてもてこずらせました.

手術して,「なおる」と思っていた時期と,再発してからではまったく心境が違う.
焦燥感.
孤独.
なんとも表現できない感情が襲ってくる.

いろんな患者たちのブログを見ては不安になり,診察室でいろいろ言い続けました.

ごめんね.先生.手のかかる患者で.ふーちゃんは言った.

 

別にいいよ,慣れてるから.
体当たりしてらっしゃい.
いつでも受け止めてあげる.

遠慮は要らない.わたしはこれが仕事だから.

約束して.
一人で悩んで死にたくなったりしないで,私に電話して.

そうやって悩んでいるのに何もできないより,わたしを夜中に起こしてくれたほうがいいから.
でも.ふーちゃんが夜中に電話してくることは無かった.

ふーちゃんは,だんだん前向きになり,職場復帰も果たし,楽しそうに通院してくるようになった.

わたしを,「洋美ちゃん」と呼び,抱きしめていい?と抱きしめてくれた.

わたしの好きな,キティちゃんのグッズを買ってきてくれたり.

ふーちゃんは,だんだんと前向きになり,職場復帰も果たしました.

ふーちゃんとわたしはしばらくの間,穏やかな日々を過ごしました.

 
でも.ふーちゃんは,肝転移してしまった.

胸水はたまらなくなったけど.違う臓器に転移してしまったので,化学療法自体は効果がなくなったと判定しなければならない.

わたしは,言った.

あのね.トリプルネガティブだからね.知ってると思うけど,抗がん剤は効きにくい.
それに,抗がん剤の副作用で痺れていて,生活に支障が少しある程度になっている.

ここからさき,抗がん剤で余命が延びたと仮定したとしても,有害事象に苦しみながら治療することが,果たして本当に自分にとっていいことかどうか,冷静に判断することを,一度考えてみて.

ふーちゃんは言った.

先生.抗がん剤やってくれなかったら,リストカットするから.死ぬから!お願いだから抗がん剤やって.

・・・・・・・.

う~ん.あのね~?あなた,わたしを脅すってこと??しかも,生きるために死ぬといっておどすということ??

相変わらず手ごわいわね~.抗がん剤をやってくれなかったら死ぬと私を脅した患者は
あなたが初めてです.(笑)

わかりました.そこまで言うなら,抗がん剤投与を考えましょう.

すると,ふーちゃんは言った.

先生,でも,なるだけ副作用の軽いのにして.しびれるのはもういやだ.じんじんしびれてたまらない.

 

そしてわたしたちは,内服の抗がん剤に決めた.

気休めだとは多分お互いに知っていた.お互いに口には出さないけど.

気休めでもいいよね.それが気持ちの整理に必要ならば.

そう思った.こうして医師は,患者に鍛えられていく.

ふーちゃんは,しばらく内服の抗癌剤を飲んでいたけど

手や足の先が赤くなる副作用がある薬だったので

もともと前の抗癌剤でしびれているふーちゃんには,辛かった.

でも.なにも治療がないといやだし

だからといって副作用の多いものは嫌だし.

こうやって少しずつふーちゃんが冷静な判断をして行けたのは

最初から,「みんな命には限りがあるのだ」という当たり前のことを,余命が限られた患者に向かって臆せず語り続けてきたからだと私は思っています.

のちに,ふーちゃんが亡くなってから,ふーちゃんのボーイフレンドが言ってくれました.

 

仲田先生は厳しいことを言うけど,それは本当にふーちゃんのためを思って言ってくれている,

本当にやさしいと言うことは,きちんと向き合って厳しいこともそうやって言ってくれると言うことなのだと,先生のやさしさはふーちゃんが亡くなってから段々身に染みてきた.

 

わたしにむかって,「抗癌剤をやってくれないならリストカットする.自殺する.」とおどしたふーちゃんでしたが.

しばらくすると,ふーちゃんの多発脳転移が明らかになりました.

なので,一旦,抗癌剤の内服はお休みにして,放射線治療することにしました.

この間に,抗癌剤を休んで,体が楽になったことが,ふーちゃんが抗癌剤に

「依存」していた状況から救うこととなりました.

刻々と状況が変わっていきます.

気持ちも変わっていきます.

変わって当たり前なのです.

わたしたちにできることは,ただ寄り添うことだけなのです.

ふーちゃんがくれたクリスマスカードです.

今でも大切に玄関に飾っています.

ふーちゃん.乳がんの肝転移,脳転移,肺転移が正しいよ(笑)

あんなに説明したのに! やっぱ,判ってなかったんだね!

説明の仕方が悪かったのかな?やっぱそうだよね.

 

でも.どうでもいいよね,そんなこと.

乳がんの肺転移でも肺がんでも,ふーちゃんにとってそこに腫瘍ができたということは

変わらないわけなのだから.

 

 

 

あんなに混乱していたふーちゃんは,このころはいろんな臓器に転移しても

穏やかに落ち着いた表情をしていた.

それに,精神科の薬は何も必要としていなかった.

やっぱり,きちんと話し合える,思いをぶつけられるということが,大切なんだと私は思っています.
医療と宗教の境目は難しいけど,患者がわたしを信じることで気持ちが楽になれるのなら
それもありじゃないかな,と思ったりします.

脳転移の放射線治療のあと,ふーちゃんは自分からこういいました.

先生.もう抗癌剤はやめようと思います.

 

わたしは,涙ぐんでしまいました.

あんなに混乱して,抗癌剤をやってくれないと死ぬ,リストカットするとわたしを脅したふーちゃんが

自ら抗癌剤をやめる選択をしたのです.

 

わたしは言いました.

そうだよ.あのね,みんな抗癌剤やめるともう,治療がないとか見放されるとか思うらしいけど

そうじゃないからね.

がんからおこる不快な症状を取るための治療だって,立派にがんに対する治療なんだからね.

でも.よく決断したね.すごいね.感動したよ.

 

そう.

ふーちゃんは,死にかたを選択したのだ.

効くあてのほとんどない抗癌剤に賭けて,副作用で苦しむよりも

これからの毎日を,穏やかに,青い空を青い,美しいと思って,生きていることが奇蹟であり

素晴らしいことだと思えるように,人間らしく最後まで生きていこうと.

 

涙が出た.

 

ふーちゃんは,抗がん剤を続けないことにした.

腫瘍内科は抗癌剤を勧める,という印象があるかもしれないが,少なくとも私はそうではない.
治療目標と本人の状態,人生観など総合的に勘案して治療方針は決定するべきだ.

 

でも.ここから先が意外と大変だ.

わたしたちは,それまでの間,話し合ってその時々で決定していく.

その過程を,離れて暮らしている家族は見ていない.

ふーちゃんの場合も,ここから血縁者が「よかれ」とおもって

免疫療法などを勧める,ということになった.

しかし.意外にこれが患者本人を追い詰める.

ふーちゃんもいらいらしたようだ.

でも.ふーちゃんは,自分できちんと言った.

 

今まで仲田先生と話をして,決めてきたの.だからそう言うの勧めないで.混乱するから.
仲田先生と最期を過ごすことにしたの.
仲田先生の治療を受けるの.
あれがいい,これがいいとすすめてくれる気持ちはわかるけど,混乱するからやめてほしいの.

ふーちゃん,落ち着いて気持ちを説明できるようになったね.

出会ったとき,精神科の薬を飲み過ぎて,自動販売機の前で倒れて顔を穢していたふーちゃん.

 

人ってこんなに変われるんだな.そう思った.涙が出た.

わたしだったら,こんなに強くなれるのだろうか?

いつも患者がどんどん強くなるのを見て,自分の弱さが身に染みた.

でも.やっぱり,専門家がきちんと隣にいて,体当たりしても受け止めるということは

重要なのだと思う.

わたしたち医師が,寄り添って隣にいると言う事が,患者には重要なのだ.

クリスマスカードをくれた後,ふーちゃんは,お正月を超えて全身状態が悪くなった.

殆ど何も食べられなくなった.

入院させた.

本当は,在宅でみたかったんだけどね.

そのときわたしが勤務していた病院の方針で,在宅にわたしが言ってはいけないと言う事だったので.

ふーちゃんがわたしと終末期を過ごすには,入院するしかなかったから.

意識レベルがどんどん下がっていっても,手を握り返してくれた.

この時期にわたしと撮った写真があるけど,一生懸命目を開けてくれた.

 

ふーちゃんは,それからまもなく永眠した.

とても安らかな美しい顔をしていた.

 

ふーちゃんがくれたキティちゃんグッズは,今も大切に取ってるよ.

 

いろんなことを考えさせてくれてありがとう.

プロフィール

この記事の筆者:仲田洋美(医師)

ミネルバクリニック院長・仲田洋美は、日本内科学会内科専門医、日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医 (がん薬物療法専門医認定者名簿)、日本人類遺伝学会臨床遺伝専門医(臨床遺伝専門医名簿:東京都)として従事し、患者様の心に寄り添った診療を心がけています。

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