認知症のがん患者さん

【このお写真は許可を得て掲載しています】

わたしが,初めて在宅緩和ケアをした患者さんのお仏壇です.

奥さんは今でも,毎日毎日,お仏壇のご主人とわたしに話しかけているそうです.

初めて会った日.

患者は,ベッドの上にオーバーテーブルを置いて,テーブルにもたれかかって呻いていました.

わたしのところに,奥さんが来たんです.

「夫が痛くて呻いているので,付き添っていて心配で眠れない.3日も眠っていない.このままでは

わたしが倒れてしまうので,睡眠薬を出してほしい.」

がんの骨転移で,麻薬も処方されていました.

とにかく,ご自宅にいるけど,痛みの為に動けないご主人をみにいこう,と行ったら

本当に呻いていました.

即効性のある麻薬を必要なだけ飲んでもらったら

痛みが取れて動けるようになりました.

麻薬は,必要な量投与しないと,効かないし,吐き気や便秘といった有害事象はあるので.

使い方が悪かったら,まったく効かない薬です.

「出せばいいってもんじゃないんだよ(*`Д´)ノ!!!」と,処方していた医師に立腹しましたが

まあ,そんなことは患者には言えません...

患者はわたしに向かってこういいました.

「嘘みたいに痛くなくなった.動ける!先生が神様に見える!!」

そういって,何度も何度もわたしの手を握り締めました.

わたしはこういいました.

「わたしは神ではありません,医師です.わたしが優れているのではなく,この薬がいい薬なのです(笑)」

それから,わたしは訪問診療に行くことにしました.

しかし,このとき,まだまだ私たちは在宅で看取るということを予定していませんでした.

理由はいくつかあります.

わたしの自宅から100キロ離れた医療機関で,わたしは週に1回外来をしていただけだったんです.

なので,わたしが終末期をこの頻度で支えると言うことは出来ないと思っていました.

他の曜日は,それぞれに大学病院等で仕事がありましたから.

でも.国立病院からは,すでに認知症を理由に入院加療を断られてしまっていました.

なんどか地域に一つしかない公立病院に交渉しましたが,結果は同じ.

【がん患者が認知症だからって,入院すると譫妄をおこすから,診療しないってどういうことだ???】

わたしは,怒りを覚えました.

それならば,と,地域で「認知症病棟」を持っている医療機関に問い合わせをしましたが.

がんがあると診療できないとのこと.

え?!

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がんも認知症も,多いですよね?

合併すると診療できない?????

1か月くらい,いろんな医療機関と交渉しましたが,この患者が終末期を入院で迎えることが

どれくらい困難かを思い知らされ,わたしは気持ちがふさがってしまいました.....

仕方ないので,ある日,患者と家族に状況を正直に伝えました.

「大変仕方ないけど,入院をうけてくれる医療機関がないのであるから,在宅でいくしかないけど.

本来,このような理由で在宅で終末期を迎えると言うことを選択しなければならない状況を,まずお詫びします.医療機関ががんと認知症が合併したら診療できないというなんて,言語道断という気持ちはわたしにもありますが.しかし,診ないといっている人たちに無理にみていただいても,また,前みたいに追い出されて嫌な思いをするだけかもしれないし.

そんな思いはさせたくないからね.

わたしとしては,ここがわたしの自宅から100キロ離れていて遠いので,積極的には選択できませんでしたが,わたしがこのまま在宅で看取る,ということを提案したいと思います.」

患者は言いました.

「わかったよ.先生がいてくれるならそれが一番だよ.」

そして,わたしたちは,在宅で看取る,ということを決めた.

わたしは,なんでもこうして,本人を交えて話をします.たとえ認知症であっても.

本人の人生観や価値観を,配偶者がどれくらい共有して,本人と同じ意思決定をできるのかというスタディがあるのですが.人生を長く共に歩んできた配偶者であっても,たったの30%だったのです.

まあ,このようなスタディがあると知ってても知らなくても,わたしは必ず本人に意思決定に関与してもらうことにしています.本人がそれを拒否しない限り.

あなたの人生はあなたにしか歩めません.

最後まできちんと自分の足で歩くのです.

わたしはあなたに伴走するための専門医なのです.

がん薬物療法専門医は,がんを総合的に診療するための専門医であって,抗癌剤の専門家というだけではありません.

あなたがあなたの人生を,前向きに全うしないと,残される配偶者やお子さんが傷つきます.

あなたはあなたの愛する人たちの為に,これからを自分らしく生きるのです.

わたしはそのお手伝いをするための専門医です.

死は避けられません.生まれた以上,わたしも含め,だれもが避けることは出来ない.

嫌なことであっても,避けることは出来ないのです.

でも.それまでの間を,あなたらしく幸せに家族と歩めるようお手伝いします.

手を取り合って歩こう.わたしと.

わたしは,この話をみんなにします.

 

臆することなくこういう話ができるのは,わたしが青い目で金髪のカトリック司祭をパパと呼んで育ったからかもしれません.

ヨーロピアンな個人主義を叩き込まれて育っていますので,何かあったらすぐに,お前はガイジンだからな,とか言われてしまって心外ですが(笑)

それでも.

嘘をついてごまかしたり,向き合うのを避けたりしたら

本当の医師患者関係は作れないと私は思っています.

医師と患者も人間と人間.

本音で語り合える人間関係を構築して初めて,患者は本当の自己決定に至れるのであるというのが,医師としての私の信念です.

でも.途中,いろんなことがありました.

まずは,やっぱり,患者がいろいろするたびに家族が悩んで混乱してしまう.

もともとの認知症のためか,麻薬の有害事象か,ときどき幻視があることがあります.

たとえば,誰かが家の中にいる,といって警察を呼んでしまう.

家族からは当然見えないので,警察を呼ぶな,と患者と家族がトラブルになってしまうのです.

入院していたら,警察をよんだりと言うことはありませんが.

自宅にいると,普通に生活しているわけなので,そういうときに警察を呼ぶなんてこともあります.

こんなことで警察を呼ぶなんて...という家族に対して私はこういいました.

「それが判らないのが認知症だし,見えないものでも本人には見えているのでそういう行動になるのです.そういう時,制止すると,判ってくれないと思って余計暴れるということになります.制止せずに,本人のきのすむようにしてあげてください.警察を呼んだとしても,それで逮捕されるなんて無いでしょ?呼んでもいいんです.そういう時は,私に電話してください.いつでも.」

わたしは,もともと,携帯電話の番号は患者に伝えることにしている.

とりあえず,認知症に対する対応は,患者を制止せずに,何かあったら医師に電話するということで落ち着きました.

でもそれは,一つ一つ試練を乗り越えていくというひとつに過ぎなかったのです.

いろんなことがそれからもありましたが,患者はいつも,わたしが行く日を楽しみに待っていました.

まるで恋人を待っているようだ.奥さんはそういって笑っていました.

この関係.医師冥利に尽きますね.

 

それから,しばらく穏やかな日々が続きました.

だけど,がんは進行性の疾患です.

夏になり,だんだんと食事が取れなくなっていきました.

はじめは,輸液で水分を補ったりしていたのですが.

本人が輸液のルートを抜いてしまう,とか.嫌がるとかありましたので.

わたしとしては,なるだけ本人の嫌がることはしたくないので,お話し合いをすることとなりました.

やっぱり,がんが進行性でいつか生命に限りはあるとわかっていても,覚悟しているのと現実になるのとは違います.

「覚悟しなくていいんです.覚悟しても無駄なんです.押し寄せる現実にかなわないですから.」わたしはいつもそういいます.

その県では初めての緩和ケア病棟がオープンするころ,だんだん全身状態が悪化しました.

なので,緩和ケア病棟に行くことも検討にはあがりました.

しかし,やっぱり30キロくらい離れていることと,もし仮に近くても,やっぱり慣れた自宅でないと落ち着かないので,またせん妄を起こして,今度は抗精神病薬を投与されて余計全身状態が悪くなるという悪循環に陥る可能性が高いことなどから,お話し合いの上,このまま在宅で看取る方針を代えないということにしました.

そして,患者の嫌がることはしない,と決めました.

だから,輸液もしませんでした.

輸液しても,どれくらい生命予後が改善するのか疑わしいし,それにどれくらいの意味があるのかを決めるのは,本人や家族だからです.

 

「先生を見ると本当に安心する」

患者はいつもそういっていました.

いつもそういってわたしの手を握り締めていました.

わたしたち医師は,こういうとき,なんの積極的治療もできないことを,「敗戦」のように受け止めがちですが,それは間違っていると私は思います.

こういうとき,ただ,手をとってそばにいるだけでよいのです.

そこにいるだけで安心してくれるのだから.

わたしたちがいる意味はあるのです.

何もできないことはありません.

ただそばにいるだけでよいのです.

「医師」がそばにいるだけでよいのです.

 

患者は2011年8月に亡くなりました.

初めて患者の自宅からお見送りしました.

在宅っていいな.そう思いました.

住み慣れた我が家で最後を迎える.

闘病生活の思い出も全部我が家にある.

それは辛くても温かい思い出になる.

遺族となった家族が,それからの人生を,前向きに生きていける糧になる.

 

わたしが何よりも気をつけていることは,自分自身や愛する人の死に直面する人たちが

それは辛い経験なのだけど,辛い中になにかひとつでも「よかった」と思えることを作りたいということです.

がんになったのは辛かったけど,先生に会えてよかった.

何度かそういってもらったことがあります.

それは,わたしの勲章です.

 

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プロフィール

この記事の筆者:仲田洋美(医師)

ミネルバクリニック院長・仲田洋美は、日本内科学会内科専門医、日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医 (がん薬物療法専門医認定者名簿)、日本人類遺伝学会臨床遺伝専門医(臨床遺伝専門医名簿:東京都)として従事し、患者様の心に寄り添った診療を心がけています。

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