【医療を斬る】公立福生病院透析中止問題【終末期医療】

【医療を斬る】公立福生病院透析中止問題【終末期医療?】

*公立福生病院の透析中止による患者さんの死亡問題が世間をにぎわせていますが,この件について判例を含めて検討してみたいと思います.医師が独善に陥ったとき,そこには隣り合わせで殺人罪が待っています.これから臨床に出る研修医の皆さん,後期研修医のみなさん,ご覧ください.

みなさま,こんにちわ.

このコーナーでは医療の問題を検討したいと思います.

今日は,公立福生病院の透析中止について判例も含めて検討してみたいと思います.

第一報が報道されたのはこれでした.

透析中止提示、患者死亡 福生病院、複数ケースか 指針逸脱疑い、都が検査

 2019年3月8日 (金)共同通信社

 東京都福生市の公立福生病院で昨年8月、腎臓病を患った40代女性に、医師が人工透析治療をやめる選択肢を示していたことが7日、関係者への取材で分かった。女性は治療中止を選び、約1週間後に死亡した。この病院では、別の30代と50代の男性が透析治療を中止し、50代男性が死亡したとの情報もある。国の終末期医療の指針や学会が示した治療中止のガイドラインを逸脱していた疑いがあり、都は6日、医療法に基づいて立ち入り検査を実施した。

女性は選択肢を示された段階では入院しておらず、透析治療を続ければ延命できた可能性がある。治療の手だてがなく、回復も見込めない場合に、苦痛を和らげる方法に切り替える「終末期医療」には該当しなかったとみられる。

「患者の全身状況が極めて不良で、本人の意思が明示されている場合などに透析中止を検討する」との日本透析医学会のガイドラインに抵触する恐れがある。同学会は7日「大変重要な案件」として調査委員会を設置し、今後、病院への立ち入り調査を実施する。

調査委メンバーで医師の秋野公造参院議員は「医師が延命治療を中止し、患者が死亡した場合、殺人や自殺に関与した罪に問われる可能性がある」と指摘。法的な整理が必要との考えを示した。

関係者によると、女性は別の診療所で透析治療を受けていたが、昨年8月、紹介を受けて訪れた同病院で今後の治療方針を相談した。医師から治療継続とともに、透析治療をやめる選択肢を示された。医師は女性と家族に、やめれば命に関わることも説明したという。

女性は話し合いの結果、治療をやめることを選択し、意思確認書に署名した。女性はその後、体調が悪化、死亡した。都は女性が透析治療の再開の意思を示したかどうかも調べる。

公立福生病院は福生市や羽村市、瑞穂町で構成する病院組合が運営。管理者である福生市の加藤育男(かとう・いくお)市長と同病院の担当者は、いずれも「コメントできない」とし、都福祉保健局の担当者は「病院が生命尊重といった医療法の理念に基づいて適正に管理、運営されているかを確認している」と話している。

※人工透析

機能が低下した腎臓に代わり、人工膜や腹膜を使って血液中の老廃物や毒素を取り除く治療。根本的な治療には腎移植がある。ほとんどの患者が受けている人工膜を利用した血液透析は一般的に週3回で、1回当たり3~5時間かかる。日本透析医学会によると、患者数は年々増えており、2011年末に初めて30万人を超えた。

報道を経時的に引用いたしましょう.

 

幹部判断で倫理委開かず 死亡女性の透析治療中止

2019年3月11日 (月)共同通信社

 東京都福生市の公立福生病院で昨年8月、腎臓病の女性=当時(44)=に医師が人工透析治療をやめる選択肢を示し、中止を選択した女性が1週間後に死亡した問題で、病院幹部の判断により、この女性に関する倫理委員会が開かれていなかったことが8日、関係者への取材で分かった。治療中止の判断に、病院幹部が関与していたことが明らかとなった。

日本透析医学会が2014年に出した透析の中止判断などに関する提言では「倫理的な問題に対しては倫理委員会や外部委員会などの助言があることが望ましい」との原則を示しており、この趣旨に反する可能性がある。

関係者によると、病院幹部は、女性を診察した同病院腎臓病総合医療センターの医師の報告を受け、「本人の意思が固い」「家族の了解がある」という点を重視。倫理委開催は不要と判断したとしている。

現場の医療スタッフが直面した倫理問題に関する相談を受ける「臨床倫理コンサルテーションチーム」の活動が今年に入ってからだったことも判明。終末期医療に対応する十分な体制が整っていなかったことになる。

医師「できることやった」 意向確認の経緯説明 福生病院、透析中止

2019年3月29日 (金)共同通信社

 東京都福生市の公立福生病院で腎臓病の女性=当時(44)=が昨年8月、人工透析を取りやめて死亡した問題で、この判断をした同病院の担当医(50)が28日、初めて取材に応じ、透析続行のために必要な手術の準備をしていたが、女性に拒まれ、物理的に透析が不可能になったという経緯を明らかにした。女性側の意思を尊重したとした上で「できることは全部やらせてもらったつもりだ」と述べ、問題はなかったとの見方を示した。

松山健(まつやま・たけし)院長も取材に応じ、この透析の取りやめについて倫理委員会を開くべきか事前に担当医から相談を受けた際、日本透析医学会の提言を参照した上で開催が必要ないと判断したと説明。「提言に違反も、無視もしていない」と主張した。

一連の経緯に問題がなかったか都が調べている。

担当医によると、女性は、透析のために設けられる腕の血管の分路(シャント)の管理のため、半年に1度来院。昨年8月9日に来院した際、分路が閉塞(へいそく)した状態で、医師は手術によって鎖骨付近にカテーテルを入れる治療法を提示。女性は拒否し「元々、シャントがつぶれたらやめようと思っていた」と透析中止の意向を示した。

担当医は、エックス線撮影を行うなど、事前に女性の手術の準備を進めていた。意向を知り、驚いたという。

担当医は、夫を呼び、看護師、ソーシャルワーカーの5人で改めて意向を確認した。女性は手術を拒否し、夫も同調。「死期を早めるリスクがある」と記載された意向確認の書面にサインした。

普段透析をしている診療所に手術を受けるよう説得された女性は10日に再び来院。別の医師が意向を確認し、手術を受けないことになった。

14日に女性は体調不良を訴え入院。16日未明にパニック状態になり「こんなに苦しいなら透析した方がいい。撤回する」と看護師に話した。担当医は、女性が落ち着いている時に意向を確認すると夫に説明。同日正午ごろ、女性に対し、手術して透析するか、苦しみの症状を軽減するかの意向を改めて確認。女性は軽減を選び、午後5時すぎに死亡した。

福生病院に文書で改善指導 東京都、透析中止問題

地域 2019年4月9日 (火)配信共同通信社

 東京都福生市の公立福生病院で昨年8月、腎臓病の女性=当時(44)=が人工透析を取りやめて死亡した問題で、東京都は9日、患者に対する説明が十分に記録されていなかったなどとして、医療法に基づき病院に文書で改善指導し、改善計画を報告するよう求めた。

福生病院では昨年8月、女性に医師が人工透析治療をやめる選択肢を提示、女性が1週間後に死亡した。他にも約20人が透析を受けないことを選んで、死亡したとの情報もある。病院はこうした判断の際に倫理委員会を開いていなかった。

都などによると、病院では、透析中止に関する患者への説明がカルテに記載されていないケースが確認された。

一方、同病院の担当医(50)は3月末に取材に応じ、透析続行のための準備をしていたが女性に拒まれ、物理的に透析が不可能になったとの経緯を説明。医師は「できることは全部やらせてもらったつもりだ」と述べ、問題はなかったとの見方を示した。松山健(まつやま・たけし)院長は日本透析医学会の提言を参照した上で倫理委員会を開かなかったとしている。

都は3月6日、医療法に基づき立ち入り検査を実施。その後も関係者に話を聞くなどして調査を進めていた。

学会もこの問題で調査委員会を設置。調査委などの報告を受け、5月に声明を発表し、透析中止に関する新たな指針を2019年中に策定するとしている。

********

う~~~ん.......

そもそも,この病院は,透析患者さんは終末期だと言ってました.最初.
それでは,世の中てきな終末期の定義がどうなっているのかについてお伝えいたしましょう.

『患者が,傷病について行い得る全ての適切な医療上の措置(栄養補給の処置その他の生命を維持するための措置を含む。以下同じ。)を受けた場合であっても,回復の可能性がなく,かつ,死期が間近であると判定された状態にある期間』の事であると書かれてあるのは,尊厳死法制化を考える議員連盟が2012年に作った終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)・第2案
(2012年6月6日)

次に判例を見ていきましょう.

【1】東海大学病院事件判決

東海大学病院事件では,悪性疾患患者に対する治療差し控えから,KCLの静脈注射により患者を積極的に安楽死に導いたという一連の行為のうち,医師の致死行為である静脈注射のみが起訴対象となっていて,治療中止に関する判断は傍論にあたることに注意が必要です.

 

判決の中で,治療行為の中止は「意味のない治療を打ち切って人間としての尊厳性を保って自然な死を迎えたい」という患者の自己決定を尊重すべきであるという論理と,「意味のない治療行為までを行うことはもはや義務ではない」との医師の治療義務の限界の論理を根拠として一定の要件の下に許容されると考えられると述べられました.
そのうえで治療の中止が許容されるための要件を

①患者が治療不可能な病気に冒され回復の見込みがなく死が
避けられない末期状態にあること

②治療行為の中止を求める患者の意思表示が存在し,それは治療行為の中止を行う時点で存在すること

として

治療行為の中止の対象となる措置に関しては,「生命維持のための治療措置など、すべてが対象となってよい」と判示しています.

【2】川崎協同病院事件

気管支喘息重積発作に伴う低酸素性脳損傷で意識不明の状態で入院した患者(当時58歳)に対して,従前より担当していた医師が「できる限り自然なかたちで息を引き取らせて看取りたい」との気持ちをいだき,気道確保のための気管内チューブを抜き取り,呼吸を確保する措置を取らなければ患者が死亡することを認識していながら,あえてそのチューブを抜き取り,呼吸を確保することをせず,患者が死亡するのを待った.
しかし,医師の予期に反して,患者が苦しそうに見える呼吸を繰り返し,鎮静剤を多量に投与してもその呼吸を鎮めることができなかったため,そのような状態を家族らに見せ続けることは好ましくないと考え,筋弛緩剤で呼吸筋を弛緩させて窒息死させようと決意して,注射器に詰められた筋弛緩薬(筋肉が動かなくなるため呼吸できなくなります)を経静脈的に投与し,呼吸を停止させ,窒息死させた.

 

地裁判決においては,治療中止は患者の自己決定の尊重と医学的判断に基づく治療義務の限界を根拠として認められる,としました.
以下,判示内容です.

末期医療において患者の死に直結し得る治療中止は,患者の自己決定の尊重と医学的判断に基づく治療義務の限界を根拠として許容される.末期における患者の自己決定の尊重は,自殺や死ぬ権利を認めるというものではなく,あくまでも人間の尊厳,幸福追求権の発露として,最後の生き方,すなわち死の迎え方を自分で決めることができるということのいわば反射的なものとして位置付けられるべきである.
そうすると,その自己決定には,回復の見込みがなく死が目前に迫っていること,それを患者が正確に理解し判断能力を保持しているということが,その不可欠の前提となるというべきである.回復不能でその死期が切迫していることについては,医学的に行うべき治療や検査等を尽くし,他の医師の意見等も徴して確定的な診断がなされるべきであって,あくまでも「疑わしきは生命の利益に」という原則の下に慎重な判断が下されなければならない.また,そのような死の迎え方を決定するのは,いうまでもなく患者本人でなければならず,その自己決定の前提として十分な情報(病状、考えられる治療・対処法、死期の見通し等)が提供され,それについての十分な説明がなされていること,患者の任意かつ真意に基づいた意思の表明がなされていることが必要である。もっとも、末期医療における治療中止においては、その決定時に、病状の進行、容体の悪化等から、患者本人の任意な自己決定及びその意思の表明や真意の直接の確認ができない場合も少なくないと思われる.このような場合には.前記自己決定の趣旨にできるだけ沿い,これを尊重できるように,患者の真意を探求していくほかない.この点について.直接、本人からの確認ができない限り治療中止を認めないという考え方によれば解決の基準は明確になる。しかし、その結果は、そのまま、患者の意に反するかもしれない治療が継続されるか、結局、医師の裁量に委ねられるという事態を招き、かえって患者の自己決定尊重とは背馳する結果すら招来しかねないと思われる。そこで、患者本人の自己決定の趣旨に、より沿う方向性を追求するため、その真意の探求を行う方が望ましいと思われる。その真意探求に当たっては、本人の事前の意思が記録化されているもの(リビング・ウイル等)や同居している家族等、患者の生き方・考え方等を良く知る者による患者の意思の推測等もその確認の有力な手がかりとなると思われる。そして、その探求にもかかわらず真意が不明であれば、「疑わしきは生命の利益に」医師は患者の生命保護を優先させ、医学的に最も適応した諸措置を継続すべきである。
治療義務の限界については、医師が可能な限りの適切な治療を尽くし医学的に有効な治療が限界に達している状況に至れば、患者が望んでいる場合であっても、それが医学的にみて有害あるいは意味がないと判断される治療については、医師においてその治療を続ける義務、あるいは、それを行う義務は法的にはないというべきであり、この場合にもその限度での治療の中止が許容される。なお、この際の医師の判断はあくまでも医学的な治療の有効性等に限られるべきである。本人の死に方に関する価値判断を医師が患者に代わって行うことは、相当ではないといわざるを得ない。

要するに,地裁は,末期医療における患者の死に直結しうる治療中止は、回復不可能死期が切迫していることを前提に、患者の終末期における自己決定の尊重と医学的判断に基づく治療義務の限界を根拠として認められるとしました.
しかし,この事件においてはいずれの要
件も満たさないとして,殺人罪の成立を認めました.

 

さて.今回の公立福生病院と比べてどうでしょうか?
患者さんは
透析すれば別に死期が迫った状態ではなかった
ということですよね?

なので.
今回,そもそも「終末期」の定義を満たさないと思われます.

また,進行がん患者さんが抗腫瘍薬を拒否することもあるのですが,たとえば奏効率20%の治療は
5人に一人しか効かないし,副作用は必ずあるのでやりたくない,という選択は十分尊重されるべきでしょう.
まだまだ薬で治癒に導ける固形癌は少ないので.
ですが,透析はとりあえず行えば患者さんの状態は改善できることがほとんどではないでしょうか?

そうすると,透析の中止を勧めること自体の倫理的な妥当性を検討せねばならなくなりますよね.
たとえば,透析するたびに血圧が下がって持ちこたえられない,とか.
合理的な論理が必要ですが.今回,シャントトラブルとしか報道されてこないので
その辺がわからないのですが...
いずれにせよ,診療録に記載が無く,同意書も文面としてはなかったようなので
医師側には非常に不利であると言わざるを得ません.

もしも刑事的に立件されたときは,どうなるのでしょうか?

とりあえず保護責任者遺棄致死には該当しそうに思いますが.みなさんはどうお考えですか?
その先の 殺人罪 ですよね.問題は.....

医師は命と向き合うので,独善的になって超えてはならない一線を越えてしまうと
そこには刑法第199条殺人罪という規定が待っています.

医療行為は本来すべて傷害罪を構成するものですが,違法性を阻却するのに必要なのは
患者の同意だけではありません.

この辺を勘違いしている医師が多すぎますね.
というか,医師たちの倫理的法的判断能力を上げていく努力を学会側も生涯教育として
専門研修やその更新の過程で行っていくべきであると
今回の事例で感じました.

それにしても.
倫理委員会にかけずに,とか
診療録に記載もせず,とか
そんな状態なのに,院長はいきなり 問題ない って会見してましたよね.

あ~あ.またいたよ...ちょっとまえのCMのブラックスワンみたいですね!(笑)

 

 

プロフィール

この記事の筆者:仲田洋美(医師)

ミネルバクリニック院長・仲田洋美は、日本内科学会内科専門医、日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医 (がん薬物療法専門医認定者名簿)、日本人類遺伝学会臨床遺伝専門医(臨床遺伝専門医名簿:東京都)として従事し、患者様の心に寄り添った診療を心がけています。

この記事へのコメントはありません。