歌舞伎町の女王vs【偽善の帝王】上昌広【番外編①希少常染色体優性遺伝性疾患患者として生まれて】

今日はちょっとショックなことがあった.

がんプロ1期生,がんプロのエースである私は,がん対策推進協議会では外野に座っているが意外な人気者.

喜んでくれる人たちが多いので,大体毎回行くようにしている.

がん対策推進協議会メンバーの東大のある先生に,ちょっとその先生の人となりが知りたい事情があって,ご挨拶伺いをしてみた.

そしたら,わたしのブログを読んでいる,でも,言葉がきつい,と言ってた.

高久先生にとって上先生は遠い弟子ではないかとか,いろんなことを言ってた.

なので,頭にきて帰ろうかと思ったが,意外に気が短いって言われた.

何を言うか?!わたしは土佐のはちきんだ.
土佐藩では『乙女姉やんの生まれ変わりに違いない』と言われる屈指のハチキンだ.
売られた喧嘩は必ず買うのが仲田洋美の流儀.
それがどんなところから売られた喧嘩であっても.
しかし.自分より立場の弱い人に売られても買わないが.

なので,『喧嘩を売られている』と認識すると,アンドロイドのように戦闘モードに入る.
それだけ.

皆さんが私に対してどんな印象を持っているのか分からないが.
わたしはただただ華奢な小さな女です.
でも,私がなにゆえ上昌広に対峙しているのか,わたしの思いをそろそろ明らかにすべきなのかもしれないと思いました.

わたしは,永遠に治らない患者として医師の世界に身を置いてきました.
22年.
その中で,患者側では絶対見られない医師たちのご乱行を多々見てきて絶望してた.
何度も医師をやめたいと思った.
でも.
その立場でないと見えないこともやれないこともあるので,当たった人が頑張るしかない.
いろんなことがあるたびに,患者として医師の世界を変えたいという思いがふつふつと湧き上がってきた.
そのわたしの思いを受け止めて,改革を断行しようとしている日本内科学会.
今回,上昌広先生は,わたしの愛する内科学会を侮辱しました.

第三内科のストーカーをしているので.
現在,第三内科教授門脇先生は内科学会理事長です.

内科学会理事長を,疑惑の帝王に祭り上げた.
卑怯な匿名の研究不正告発文書をなにゆえか入手して
それをいきなりツイッターで拡散した.
そのなかには,白黒ついていなくてこれから調査なのに,黒だと知り合いの教授が言っているという文言もあった.
マスコミを利用するのがうまく,有名な上昌広がやると,そうなんだよねと信じる人たちも大勢いる.

こんなのフェアじゃない.
科学者ならばまずは自分の言葉で批判しろ.

内科学会は,歴史と伝統と格式のある学会です.
でも,カトリックをみればわかるように,歴史と伝統と格式のある団体ほど変革していく力はあるのです.
時代に合わせて変えていかなければ生き残れない.

内科学会は,誰も治せない患者であり,専門医でもあるわたしの見聞してきた現状を変えていくべく,専門医制度改革において,指導医がどのように指導しているのかが明らかになるようにプログラム制をとることにしました.
これは,北見赤十字病院事件の協力医になって,カルテを見て衝撃を受けたことがあります.
指導医が何の指導もせず,後期研修医1年目と初期研修医2か月目の医師たちが診療して
多剤大量の抗精神病薬を投与し,入院後6日に高熱,それを診療した内科初期研修医がテキトーに抗菌薬を投与してその2日後に心肺停止.38歳の青年が植物状態になり,8か月後に亡くなりました.
抗精神病薬は麻痺性イレウスを起こします.入院後心肺停止する日の朝まで一度も排便もない.
しかも,精神科の後期研修医は,入院初日に患者さんが納得せず点滴を自己抜針したことで,医療保護入院に切り替えて,保護室に入れて拘束衣を着せてしまいました.
ところが,医療保護入院は指定医でないと出来ません.一体どういうことだ....
内科は何をやってたんだ....
どうしてこの患者は死なねばならなかったのだ?
なぜ初期研修医に対応させたのか?
なぜ指導医の書き込みが内科も精神科も一切ないのか?
どうしてなの?
教えてよ...
どうしてこんなところが内科学会の認定施設なのよ?
内科学会の施設認定を受けていたらちゃんと診てもらえる.
患者はそう信じる.
なのにどうしてこんなことに?
わたしは学会に文句を言い続けました.
施設認定の在り方が間違っているのだと.

国民の無垢な信頼を裏切ってはならない.
恥を知れ.
襟を正せ.
わたしはしぶとくそう言い続けました.

そして,内科学会はそれから5年間,国民の皆様のために医師の質を担保できるよう
いろんな制度改革を断行すべく,各委員会などで話し合いがなされ,
歴史と伝統と格式のある誇り高き集団として,国民の皆様の信を本当に得られるようになりたいと
改革を行ってきました.

その内科学会を上昌広は踏みにじった.
しかも,彼は内科学会員です.
わたしは彼のしたことがいろんな意味で許せなかった.
特に,専門医制度改革の断行を邪魔したのは許せなかった.

受けて立とうじゃないの?

要するにわたしは喧嘩売られて受けて立っているのである.

わたしは,希少常染色体優性遺伝性疾患患者としてこの世に生を受けました.
幼いころから『人形』というのがあだ名でした.
小さかったからです.
どうしてこの子はいつまでも大きくならないのか.
この子は普通じゃない.

大人たちのひそひそ話す声を幼子ながら聞いていました.

のちに,わたしにはある診断名が付きましたが,医師はわたしにこう説明しました.
病名をつけないといけないからつけるけど病気じゃない.

でも.医学部医学科入学前でしたが,『小内科学書』を買って読んだら,遺伝性と書かれてあった.
常染色体優性.

衝撃的なその言葉を受け止めきれず,わたしは本を閉じた.

珍しい疾患なので,わたしはやらなくていい検査をやられて写真を撮られた.
何のためかろくに説明もされなかった.
まだ若かった私は,複雑な思いをしながら,それでも,人のよさそうな主治医の言う通り
撮影に応じた.

のちにわたしは医学生となり,先輩から授業でわたしの写真が出てきたと言われて
第二内科に抗議した.
わたしだとわからないように発表するといったくせに,いったい何をしているのか?
なにを考えているのか?

個人情報保護法もない時代,わたしという患者のプライバシーなんてなかった.

そんななか,わたしはのちに夫となる男子に巡り合う.

仲田さんは,よく図書館でお勉強してた.
よくお勉強する人だな.
最初の印象はそう.

仲田さんが卒業すると同時に私たちは結婚して,友人たちによると結婚する前から離婚の危機にあったらしいが
なぜか離婚せずに今に至る.
結婚する前に聞かれた.
もしも僕が君に卒業しても仕事をしないでほしいと言ったらどうしますか?
わたしはこう答えた.結婚いたしません.
分かりましたと彼は答え,私たちは結婚式を挙げた.

4年後,わたしは無事に医師になり.
医師歴14年目にがんプロ大学院に入った.
大学院3年目.
がん薬物療法専門医を取得して,遺伝性腫瘍に取り組まねばと思い
2011年4月.臨床遺伝専門医トレーニングコースに乗った.兵庫医大.

トンプソン&トンプソンという遺伝学の本を読破し,暗記するために単語カードを作り.
2011年4月.単語カードを頭に入れていたら,突然自分にそっくりな疾患があることに気が付いた.
羽田空港のラウンジ.
隣にいた旦那様に私は聞いた.
ねえねえ.これってどう見ても私のことだけど?

夫はそうだよと答えた.

知ってたの?

知ってた.

どうして?

君と出会ったとき,君が病気のことを言ったので,一生懸命毎日図書館に通いました.それで調べて.

どうして何も言わずに結婚を?

言えば結婚してもらえないと思いました.

どうして何も言わずに出産させた?

大丈夫だと思いました.だから毎回子供が生まれるたびに骨を確認した.

毎回勝手に二分の一の確率にかけていたってこと?

そうそう.

病気の子供が生まれたらもっと重い知的障害が必ず加わると知ってて?

そうそう.育てられると思ってた.

絶句した.

普通これは美談だろう.
でも,洋美ちゃんは逆転の発想しかできない女だ.遺伝子が足らないせいだ.

だから.
わたしに何も知らせてくれなかったということで怒りが沸いた.
(この場合,自分が医者だということは立派に棚に上げている.)

離婚も申し入れた.
夫は真面目に取り合わずに今に至る.

わたしは混乱した.
なんてこった.
わたしは遺伝性腫瘍に立ち向かうべく遺伝専門医を取ろうとしたのに
自分がどっぷりその領域の永遠の患者であって,個体発生途上の問題なので
どんなに医学が進んでも何の治療も絶対ないことが自分に突き付けられた.

自信がない...
患者たちに向き合えるのか?
自分に向き合えるのか?

わたしは荒れた.
毎日泣き続けた.
人前で泣けないので,車を運転しながら涙が出た.

兵庫医大のわたしの指導医,玉置知子先生に,やめたい,自信がない,
遺伝はわたしにとってパンドラの箱だった,平穏な気持ちで向き合えない,もう無理なんです...そういった.
玉置先生はこういった.
内科専門医,がん薬物療法専門医を持っていて遺伝専門医を持つ初めての人に
あなたはなろうとしています.そのあなたが希少常染色体優性遺伝性疾患患者.
あなたは地球に一人の確率で存在しています.
あなたにしかできないことがあるのです.やめてはなりません.
わたしだって専門医です.安心してわたしに思いをぶつけなさい.

それ以来,玉置先生は陰に日向に,わたしを守り続けている.
だって,わたしは患者だ.
専門医の世界に患者として身を置いていて,だんだん頭にきて突然患者として発信する.
患者が専門医と全く同じレベルの知識と経験を持ってしまったとき起こる混乱を
わたしは一人で実現してしまっている.

その上,わたしは医師歴8年目に法学部に行ってしまったような変わり者だ.
もともと患者の権利がどこから発生するのか知りたくて法学部に行くような医師が
永遠の患者.

2か月泣き続け,やっとこの言葉を絞り出した.
『鬼に金棒 仲田洋美に遺伝子変異』
そしてわたしは相模原で行われた遺伝のセミナーで
信州大学教授福嶋先生や,当時はその部下だった櫻井晃洋現札幌医科大学遺伝医学教室教授と出会った.
ここで初めて,患者であることを告白.

その年の7月.
望月宣武先生と出会って北見赤十字病院事件の医療記録を見て驚き,内科学会に専門医制度改革を迫ったり,初期研修の改革を厚生労働省に迫ったりという活動を始めた.

患者として医師の世界に身を置いて
わたしはとても不幸だと思っていた.

高久史麿先生に出会うまでは.

わたしは,意外なことに国策部隊がんプロのエースになってしまい
重要ないくつかの国策のロールモデルとなってしまっている.
男女共同参画.
がんプロ.
専門医制度.
在宅医療へのシフト
ゲノム医療の推進

重い....
それよりなにより,がん対策基本法を知らない医療人が多数いて,そんな中で
国の思いや患者の思いをどう実現していくか途方に暮れた.

ゲノム関連のいろんな問題があって,わたしは高久史麿先生に会いに行った.

高久先生は,本当に素晴らしい.
こんなに辛辣に本当のことを言い,ずばずば言ってのけるハチキンのわたしが高久先生にかぎって遠慮するなんてありえない.

みんな高久先生を天皇のように祭り上げているが,高久先生は権力の権化なんかじゃない.
いろんな思いがあっても伝わらないことも,悔しい思いをしながら耐えていることもある.

なのに,高久先生は私たちのために日本一孤独な椅子に涼しそうに坐ってニコニコしている.

頑張ろう.
高久先生をそばで見ていると,心からそう思えた.

真の国民のための医療を実現したい.
それが永遠の患者としてのわたしの切なる願い.

高久先生だけではなく,内科学会,外科学会といった大きな学会たちは
真の国民のための医療を実現したいと頑張っている.
それでも組織が大きいとなかなか進まない.
でも,やらねばならないことはやらねばならないのだ.

何度も医師をやめようと思ったけど
今,わたしは,医療界の頂点の一角を,最も舌鋒鋭い内科学会の専門医として
自分の目で見て,医療界の未来は明るいと思える.

そして,高久先生との関係をちらつかせ
世間に誤解を与えて,自分に対する反論を阻止してきた上昌広に対峙するとわたしは決めたのだ.

それがわたしが偽善の帝王を書き始めた理由.

そして,このシリーズを見ると,医療界の中で何が巣食っていて,上昌広がいかに絡んでいるか
お分かりいただけると思う.

わたしは決して上先生を嫌っているわけでも何でもない.
全く何の感情も持っていない.

人にはそれぞれ立場がある.

わたしは,わたしの立場で正義を貫く.それだけ.

正義なんて命がけで振りかざすものだ.
そして立場の数だけ正義はある.
正義と正義がぶつかっているとき必要なのは調整だ.

それだけ.
上昌広がやっていることが正義ならば意見を戦わせ,調整すればいいことだ.

しかし.
自分の実現したいことを実現するために,悪魔に魂を売り,人を陥れて嵌めたりするのは正義なのかな?

わたしの教育係,行田博文元日弁連副会長はわたしに言った.
あらゆる正義を担保せよ.
論理としての正しさだけではだめだ.
タイミングの正義.
言い方の正義.
あらゆる正義を担保して,正論は初めて正論として他人の心を打ち,動かすのだ.

正論を言うと人格攻撃される.
世の中を変えたければ,ただひたすら耐えなければならない.

わたしは,上昌広先生がやっていることを,正義だと思っていない.今のところ.

初めは医療改革を目指していたのかもしれない.

でも,人は変節するものだ.
白くいようと思ったら毎日漂白剤の痛みに耐えねばならない.
白が白くいることが最も難しいからだ.

わたしはそれを知っている.
何にも曲がらず今まで来たのは,毎日そんな痛みに耐えているからだ.

いろんな思いがあって,わたしは偽善の帝王を書き始めた.

誰も治せない永遠の患者,かつ希少専門医として
国民のために改革を迫り続けてきた
医療改革のシンボルとして生きていく道しかわたしにはもうない.

何の後悔もしていない.
がんプロのエースなのだから,国策女子として生きなければならない.

ただ.
こんな将来が待っているのだと知っていたら
子供たちの寝顔をもっと優しく眺めてあげたかったな.
遊んでいる子供たちに,ママはお勉強しているので静かにしなさいと怒ったりせずにもっと
一緒に遊んであげればよかったな.
離れ離れに暮らすのだと知っていたら,一緒に暮らしていたころもっと向き合って暮らせばよかったな.
母親としての思いを全部殺して
わたしは国策部隊がんプロのエースとして生きることを決意した.

上先生に対峙できるのはわたししかいない.....

いつかきっとこんな日が来ると予感していた.

それが現実になった.

それだけ.

あとは粛々と任務を実行する.

みこころのままに毎日を生きる.
公平性・公平性・透明性の担保が医師としてのわたしの至上命題.

こんなわたしが,偶然,30年以上前にベルギーの片田舎で女子高生活を送り
我が国が目指している地域包括ケアを経験しているということも大きいように思う.

思春期を一部,生粋の白人社会でたった一人でサバイバルゲームのように過ごして
日本人性は失われたかもしれないけど
個人を大切にするという個人主義は身に着けている.

いろんな意味があって
わたしは上昌広と対峙している.

もう一度言うが,わたしは彼を知らないので,彼に対して何の感情もない.

彼は彼の立場で主張し
わたしはわたしの立場で主張する.それだけだ.

それをどう判断するのかはみなさんの問題だ.

ブログというのは一般向けにキャッチーに書いてある.
嘘は書いていないが.
それに.
きつくて何が悪いのか?

わたしたちは上昌広のやりくちにずっと我慢に我慢を重ねてきた.
反論に怒りを込めてどうして悪いのか教えてほしい.

怒りを込めるのと,上昌広を仲田洋美が嫌っているということとは同じではない.
日本人はすぐに階層の違うことをごちゃまぜにする.

とにかく.
わたしはいろんな理由があって上先生と対峙している.

彼が高久先生の遠い弟子でも関係ない.

正義なんて命がけで掲げるものだ.
尚,幼いころから普通じゃないと言われ続けた私のたった一つの願いは,『普通になりたい』ということです.

普通が正常だということならば,永遠にかなうことはありません.

わたしの容姿は病気のせい.
わたしの緩いウエーブの髪は,天然パーマであって美容院には忙しくて1年に一度しか行けません.
なのに,他人は柔らかなウエーブのくせ毛を大変時間と手間をかけて手入れしていると勘違いする.
病気のせいだとわかっても,わたしの容姿がうらやましいという人もいる.
悪気があってのことではなくて,そういう人たちはわたしの容姿も含めてわたしが大好きなのだから
そういってくれている.
なにがいいかなんてわからないんですよね...

とにかく.
わたしのような人材は,確率論から言っても二度と出てきません.
そうすると,わたしが生きている間にできる限りのことをやろう,そう思った.

子供たちにも平然とこういった.

医師は公共の財産です.
ママはあなたたちのママですが,あなたたちだけのママではありません.
産んであげただけでありがたいと思いなさい.

(笑)

子供たちに対する母親としての思いは当然私にもあります.
でも.
だからこそ,すべての子供たちのために,我が国の100年後を見据えて
医療改革を.

それがわたしの生きる道.

今わたしの周囲にいる医療界の中枢の人たちは
こうしたわたしの姿を見てきた人たちです.

あらゆる困難をただただひたすら耐え続け.
それでもまっすぐわたしは立つのだ.

ただただ歯を食いしばり.

ひたすら耐えて,何度転んでも,沈んでも,立ち上がるのだ.
火あぶりにされても生き返るのだ.

ジャンヌ・ダルクみたいだね,と言われたとき,怖かった.
ジャンヌ・ダルクは火刑にあって死んだ.
でも,もう怖くない.

火刑にあっても死なないよ.
やることやらずに死ねるかっ!!!!

プロフィール

この記事の筆者:仲田洋美(医師)

ミネルバクリニック院長・仲田洋美は、日本内科学会内科専門医、日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医 (がん薬物療法専門医認定者名簿)、日本人類遺伝学会臨床遺伝専門医(臨床遺伝専門医名簿:東京都)として従事し、患者様の心に寄り添った診療を心がけています。

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